
百年企業の思いをたどる「新たな日本の夜明けプロジェクト」。
本日は佐賀県唐津市にあります玄洋さんに行ってきました。
創業は何年、どんなきっかけで始まりましたか?
始まりは明治39年(1906年)。
私のひいひいおばあちゃんにあたる善田テイが創業。
当時呼子方面への軌道の終点だった唐津の佐志という地で、待合の乗客に「いも飴」を売っていたのが始まり。今でいうサービス業の駆け出しで、本当に簡単ないも飴だけを売っていたと聞いています。その後、善田テイの娘、私のひいおばあちゃんにあたる善田タツが「おたつ茶屋」という店舗を構え、軽食などを売り始めました。豪快な方で、体も大きく、火鉢を置き、タバコをパカパカ吸いながら時間を過ごしていたそうです。
その後、大東亜戦争があり、終戦後に旅館を始めました。同じ場所に少し大きな店を構え、「玄洋館」という名前で営業したそうです。特徴としては店の裏に海があり、その海水を引き込んで庭に池をつくり、鯛などの魚を泳がせ、お客様の目の前で調理して提供するスタイルの旅館でした。
その後、父・基文が帰ってきて唐津市民会館で「レストラン鳳(おおとり)」を始め、披露宴などで料理を提供し業績を伸ばしました。その後契約が終了し、もともとあった佐志の旅館一本となりました。平成9年に現在の唐津市北城内に移り「玄洋」という名前になり、今に至っています。
現在のメインは?
メインはやはりイカの活造り。オープン当時は定食などもやっていたのですが、お客様がイカを求めて来られることがわかり、だんだんとイカが中心の店になりました。1階はレストラン、2階は宴会場で会席料理を提供しています。
創業から受け継がれている想い
創業者のエピソードはあまり残っていませんが、私が1番大きく影響を受けたのは祖母の存在です。祖母はお客様や従業員、家族に対して「ありがとう」と感謝する姿がとても印象的で、それが商売やビジネスのあり方だと私は考えています。
こだわりは特別なくても、コツコツ改善しながらやっていくことを常に考えています。最近ではインバウンドのお客様も増えてきたので、「世界の玄洋」を目指し、週2回の英会話レッスンを全従業員・アルバイトにも始めました。まだ全く話せませんが、1年後には話せるようになっていると思います。
最大の危機はいつ、何が起こりましたか?
戦争の時代には祖父が戦地に行き、祖母が1人でお店を切り盛りし、数えきれないほど危機はたくさんあったと聞きました。しかしながら、戦後復興を成し遂げました。
直近だと、新型コロナの騒動ではお客様が全く来なくなり、1日数人という時期もありました。あと半年で潰れるかもしれないという絶望も初めて経験しました。それでも「飲食店とは何か」を考え、街に灯をともす存在として店を開け続けました。テイクアウトやおせち料理、日替わり弁当、ネット販売など、とにかく挑戦しました。その中で「高級折詰」を始めたところ大きな反響をいただき、今でも注文があります。動いて挑戦することの大切さを学びました。
今最も大切にしていること
社是は「公器」。店はただの箱であり、そこを生かすのは人です。お客様、従業員、業者の皆さんを通して玄洋というブランドで幸せを届けたい。だからこそ日々努力し続けています。ルーティンとしては、毎月1日と15日に神棚やお墓に花や榊を供えています。これは先祖代々続いている習わしです。天気のいい日などには生まれ育った佐志の差八幡宮に参拝し、祖父母が寄贈した額に会いに行きます。
100年後の会社について
100年後も唐津に根ざし、従業員・お客様・業者に幸せを与え続ける会社でありたい。そして「世界の玄洋」として、唐津を目指して世界中からお客様に来ていただける存在になりたい。食を通じて世界に発信し、100年後には世界的に有名な会社になっていたい。
100年後の日本について
日本の技術や精神、文化が世界に残り、食べ物に困らない世の中になることを願っています。
書かせていただいた文字について
私は松下幸之助さんの言葉「志を立てよう、志を立てた時点で半ば目的は達成されている」に感銘を受けました。
常に志を掲げ、この人生を生きようと考えています。
会社情報
有限会社玄洋
■住所
〒847-0015
佐賀県唐津市北城内1-16
tel. 0955-70-1500
■HP